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01.12.21:22
幻想の詩―紅魔の連―#12
東方SS七十一作目。
紅魔館の面々で連載物。
魔女と吸血鬼の会合。
これより語るは歴史の中に姿を現わさない今は亡き物語である。少女の唇はその物語を淡々と紡ぐ。或いはそれは悲痛な叫びだったのかも知れない。或いはそれはただの過去として彼女には何の痛痒も与えていないのかも知れない。けれども聞き手の女はその物語をその耳で聞きながら思う事がある。それは涙さえ涸れ果ててしまったその少女の慟哭なのであろう、と。何故ならば、少女の表情は何処までも無表情でありながら、何処までも寂しいものであるからだ。
◆
最早数えて遡る事ですら億劫なほどの昔、スカーレット家という大昔から続いている由緒正しき家があった。世間にも広く知られた家で、貴族ならばその名を知らぬ者は誰一人として居なかった。たまに催されるパーティーには何百もの人々が集まったし、ある国のお偉い方が訪れた事もあるほど著名な家である。スカーレット家はそうして永遠の安寧を得ると共に充分過ぎるほどの財産を抱えて存続していた。レミリア=スカーレット、そしてフランドール=スカーレットも誇り高きスカーレット家の一員としてこの世に生まれ落ちた。
が、唯一その家が持っていた闇は、公になってしまえば落魄への道を辿るより他にないほど大きかった。古い歴史を記した書にはこう書かれている。「吸血鬼一家として疑いを掛けられ、教会から派遣された聖騎士団によって討伐された一族」。それはある種お伽噺のような感覚しか人々に与えなかった。その内不明瞭な歴史は時と共に歪んで行き、真実はねじ曲げられ、人々はそれを童謡の類だとしか思わなくなった。そうして彼女らの存在は永遠の闇の中に沈んだのである。
しかし少女はこう語った。
「醜い人間どもがねじ曲げた真実は、虚飾にしか成り得ない。我々スカーレット家が受けた屈辱を忘れる事など出来るものか。今や私と妹の二人のみを残す形となって滅びた一族ではあるが、私は決してこの怒りを忘れない。何時の日か愚かな人間どもに復讐する為にこうして生きている。人間として生きた日々など思い出すだけで反吐が出る。お父様は人間との共存を望んで居られたが、今の私はそうは思わない。人間こそ忌むべき対象であり、淘汰されるべき敵だ。我々に敵意など無かったのにも関わらず奴らは私達に攻撃を仕掛けた。それをどうして許せる事が出来る。真に罪深いのは無抵抗のお父様やお母様、引いては館に仕える従者達を殺した人間達だ」
それが少女が語る所の真実であった。ねじ曲げられた歴史のみを知っているパチュリーは、しかし然したる驚きを見せなかった。人間が恐れる生物は必然的に滅亡の道を歩む。それは自然界の中で、人間が頂点に君臨する以上は自明の理と化していたからである。そうして少女はまた語り始める。
「私はいずれこのスカーレット家を継ぐ立場だった。お父様もそのつもりで私を育てたし、あの頃は“普通”だった妹もそれを素直に祝福してくれていた。私は誇り高きスカーレット家の一員として、それを誇らしく思っていたし、お父様に変わってスカーレット家の当主となれる事を何より嬉しく思った。――それまでは何もかもが順調だったのだ。我がスカーレット家に反逆者が出るまでは。私はその反逆者を知らない。だが、確かに反逆者が出たというのは事実だった。でなければ私達が吸血鬼だという事実も決して漏れはしなかったのだから。
当時病弱だった私はほとんどを自室の中で過ごしていた。病弱といっても大仰なものではない。単に些細な病によく罹る程度だった。だが、そんな日に限って反旗は翻されたのだ。私達がまだ眠りに就いている時分、あの忌まわしい太陽が頂点で燦爛と煌めく時間、この館の周囲は騒がしくなった。それこそ何百人もの喧騒が一度に同じ場所にあるかのような騒がしさだった。私は勿論、お父様とてその異変に気付いたに違いない。自室の中で何が起こっているのかも判らず狼狽していた私に、地下へ逃げろと云ったのは他ならぬお父様であるからだ。
お父様は何故という私の言葉に「今だけだ」と云いながら、私と妹を地下へ閉じ込めた。魔法が加わった厳重な扉の中だ。人間などでは決して開けられない。そこに閉じ込められた私と妹は無論抗議した。何故そんな必要があるのか。お父様は何をしに行くのか。私達は何時になれば此処を出られるのか。しかしそう喚き続けてもその声にお父様が耳を貸す事はなかった。お父様は一人で「話し合いに行ってくる」とだけ云い残して地下を離れた。閉じ込められた私達を置き去りにして、しかし実に陽気な声で。――その後、お父様が私達の元に帰って来る事は無かったが。
館の中からけたたましい叫び声や勇んだ声が途絶えた時、私達はとうとう堪え切れなくなって無理やり扉を開けた。そうして一番に感じたのは噎せ返るほどの血の匂いだった。上へ続く階段を上ってみれば、そこには壁に、床に、天井に飛び散った血が生々しく残っていた。綺麗だった館の内装は一瞬にして穢れ、私達はこれが現実なのだろうかと疑った。が、やがて見付ける事となる白木の杭に心臓を貫かれたお父様やお母様の姿、銀の長剣に貫かれた従者達の姿を見る事によって、これは本当に現実なのだと私は悟る。
そうして妹は狂った。受け入れ難い現実の前に容易く精神を崩壊させてしまった。狂気の笑みはそれだけで私をも壊し掛けたが、私は正気を保った。この光景を忘れてはならない。そうして狂うという逃避に逃げる事もない。何時の日か復讐を果たすと胸に誓い、溢れるほどの憎悪をその身に留めたのだ」
彼女はそこまで語って歯を噛み締めた。そのあまりに強い力の所為でぎりと軋んだ音がパチュリーにさえ届くようであった。白雪よりも更に白い肌を有する手には血が滴った。人間のそれを遥かに凌ぐ握力が拳に込められているからである。怒りに打ち震える彼女の手を見るだけで、その憎しみの大きさが如何なるものかをパチュリーは理解した。今まで、これほどまでに感情を露わにした事が、この少女にあっただろうか。少なくともパチュリーは今までにその記憶を持ち得ない。少女は何時でもその野望を胸の内に押し隠し、一族の矜持という仮面を被ったままだった。パチュリーはこの時初めて、レミリア=スカーレットという吸血鬼の事を少しだけ知ったのである。
「しかし私が持つ目的を果たす為には力が足りない。幾ら人間より遥かに高尚な生物と云えど、世は既に人間が統べる時代となっている。そんな渦中に吸血鬼を名乗る私が飛び出しても所詮は多勢に無勢、奴らの軍勢の前に屈するのは火を見るより明らかだ。だからこそ、私は私を補助する人材を確保しようとする策を進めると共に、妹が正気に戻るまでの間、あまり騒ぎにならない程度に食料を確保している。かつては繁栄していた村だが、今や廃村間近となったあの村は、私達の食料庫だ。都合の好い事に私達吸血鬼の存在を信じているから、多少人間を攫っても大事には成り得ない。況してや教会から聖騎士団が派遣される事も有り得ない。その時は今を超える恐怖を与えてやるだけだが」
その話を聞いた時、初めてパチュリーは自分がこの少女にとって全くの他人でないことに気付き始めた。自らの野心を明かすという事は少なからず信頼を得た証拠でもある。会話もなし、それどころか接点すらなかった関係は此処にきて漸く実を結んだのである。けれども、それがパチュリー自身の目的に繋がるかと云えばそれは全くの別問題であった。目の前の少女はあくまで自分自身しか見て居ない。他人の事などまるでどうでも好いのだ。それこそ自分に従わぬというのなら今すぐこの場を出て行けぐらいの気迫である。パチュリーはどう言葉を切り出そうか迷った。
「――貴様とて白日の下に身を晒せない身だろう。私を吸血鬼と知りながらこの館へ踏みこみ、あろう事か殺してくれとまで云ったお前が平々凡々たる日常を過ごしてきたはずがない。私のように暗い過去を抱えているか、或いは決して他人には明かせない罪を背負っているか、そのどちらかは知らないが、どちらにしろ同じ事だ。今後まだ私に殺してくれと頼み続けて、この館に居座るのならば私の目的を手伝うが好い。でなければ今日の内にこの館を出て行く事だ。何処にも行き場のない魔女風情が此処に居て好い道理はない。此処で存在を許されるのは私達のように高潔な種族だ」
そう云ってレミリアは鋭い視線をパチュリーに送る。返事を促す紅の瞳が、細い光の筋となってパチュリーを貫いているかのようである。彼女はその瞳を見ている内にどうしたものかと迷い始める。
「何もかも云い当てて見せたのは、貴方の力故か、単なる偶然か。とにかく貴方の云った事はことごとく正しいわね。私がこの姿を公に晒せないのも、暗い過去を持っていて決して償えない罪を抱えている事も。けれど、貴方はそんな厄介者を館に招こうとしているのよ。私は既にして追われている身。貴方に迷惑をかけない保証は無い。仮に私が貴方の云う条件を呑んでこの館に身を置く事になっても素直に云う事を聞かないかも判らないし、それどころか途中で貴方を教会に突き出すかも知れない。姿なんて魔女ならばどうとでも変えられるのだし、造作もない事なのよ」
パチュリーの言葉にレミリアの口端が吊り上がる。そうして紡がれた言葉は、恐ろしく低く冷たい声音と共にあった。
「何の為に力があると思っている。貴様如き殺そうと思えば刹那の時間さえ掛からない。また厄介者から被る迷惑を私が払えないとでも思ったか。脆弱な人間どもの百や千、所詮はこのレミリアの敵ではない。真に鬱陶しきはあの太陽と、そして腐るほど大人数という事実だけだ。その一角が断続的に襲い掛かって来ようとも一瞬にして肉塊に変えてくれる。この私を見縊るな。私は偉大なスカーレットの末裔、レミリア=スカーレットだ!」
大気が震える。館の周辺から生物の気配が遠退いて行く。なるほど、とパチュリーは思った。確かにこの少女は恐ろしいまでの力がある。それこそ自分はおろか、億の軍勢であろうとも倒せる保障がないほどに。それを悟ると、自然とパチュリーの口元は緩んでしまう。どうせなら最後にこうして楽しく過ごしてみるのも好いかも知れない。どうせ朽ち果てるこの身が、少しばかり生き長らえようと受けた罪は変わるまい。これ以上積み重ねるものがないほどに、彼女が犯した罪悪は大き過ぎるのである。
「好いでしょう、偉大なる吸血鬼。魔女としてこのパチュリー=ノーレッジは貴方に与する事を誓う。元より魔女は悪魔と共に往くもの。こんな戯れがあっても一向に構いはしない。世界から嫌われた吸血鬼、せめて面白い幕劇を見せてくれる事を祈っているわ。その為の協力は惜しまない。それもまた、一興でしょうから」
にやりと歪んだ口元は果たして誰のものだったろう。館は不穏な空気に包まれた。空を覆っていた雲は恐れをなしたように何処かへ流れては消えて行く。窓の外には真円を象った満月が、煌々と輝いていた。
――続
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