11.02.13:27
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09.18.01:17
幻想の詩―神と風祝の連―#1
東方SS十六作目。
守矢神社の面々で連載物。
※鬱要素有り
不安の萌芽は芽吹いたばかり。
――きっと、それは小さな亀裂から始まっていて。
立派な神社が建つ境内の鳥居の上で仰向けに寝転びながら、洩矢 諏訪子は考えていた。
見上げた空には、縦横無尽に飛び回る鳥達が、地を歩く人間を罵るように時折高い鳴き声を上げている。諏訪子は心中で、私だって飛ぼうと思えば飛べるさと毒づいた。けれども、鳥達に諏訪子の心の声が聞こえるはずもなく、彼らは依然変わらず自由に飛んでいる。何だか遣り切れなくなり、諏訪子は脇に置いてあった自分の帽子を顔に被せて目を瞑った。
太陽が照らし出していた明るい世界は卒然と光を失い、瞼を降ろせば暗闇が身を包んだかのような錯覚を覚える。思慮に耽るには丁度良い、諏訪子はそう考えて一人口元を歪めた。――耳には何時も、鳥の鳴き声が聞こえている。
諏訪子が寝ころぶ鳥居の下、丸石が敷き詰められた境内には、先日行われた祭儀の跡が残っている。比較的簡単に片付けられる物などは昨日の内に片付けられているが、時間の掛かる大きな物は後々片付けられるので、今はまだそこに残ったままなのだ。特に、祭儀を行うに当たって最も重要な舞台は、一日二日で片付けられる物ではない。祭りの名残を楽しむかのように、それは時間を掛けて仕舞われて行くのだ。八坂 神奈子はその光景を見て、一人溜息を零した。
何時から盲目になっていたのだろうと神奈子は思う。無論自身の目が見えなくなった訳ではない。物事を広く深く見詰める能力を知らず知らずの内に損なっていたと云う事実が、彼女には甚だ遺憾に思われた。昨日の祭儀の前、白く肌理細やかな肌に薄らと浮かんだ青紫と、赤紫の嫌な鬱血の色が蘇り、それを見た自分に対して悲痛な笑顔で大丈夫と云った風祝の姿が、残酷なほど鮮明に思い起こされる。それまで黙っていた彼女に対して、告げるべきはずだった言葉が一瞬の内に泡沫となって消えて行き、それと代わるようにして自分への罵言が生まれた。神奈子は今、それを悔やんでいる。
彼女はもう一度自分に対して問うた。――自分は何時から盲目になったのだ、と。
◆
「もう直ぐだねぇ」
酒が注がれた猪口を手に、諏訪子は呟く。
そうして、手に持った猪口を口に付けて一気に飲み干した。薄紅色に染まった頬は、微醺を孕んだ色である。空に浮かんだ大きな月と、その周りで瞬く星々とが最高の肴になって、深夜に行われているこの密やかな宴会の趣を凝らしていた。
冬の寒々しい空気は徐々に春の暖かな陽気へと移り変わり、今では寒さの名残を感じさせるばかりである。縁側から眺める庭先には、白い月光に浮かんだ夜桜が、妖艶な美しさを放っていた。こうして縁側で酒を呑むには絶好の時節と、風景である。季節の変わり目の空気を肌で感じながら、諏訪子はぼんやりと空を仰いでいる。そよいだ風に散らされた桜の花が、鼻先を掠めて何となく甘い残り香を置いて行ったように思われた。
「子孫の晴れ舞台が待ち遠しくて仕方ないって感じね」
今宵の密やかな宴会の同席者の、神奈子が何とも無しに言葉を返す。そこにからかうような調子が含まれていたものだから、諏訪子は図らずも少しばかり鋭くなった目付きで神奈子を見遣った。
だが、生きた年月は長くとも容姿は幼い女の子である。ともすれば可愛らしい愛嬌ばかりが目立ってしまうその睨みは、神奈子には効果が無かった。涼しい顔をして、猪口に注がれた酒にぼんやりと映る月を見て可笑しそうな微笑を湛えている。しかし、宴会に水を差すのも嫌だったと見えて、神奈子は「からかってる訳じゃないわよ」と弁解した。
それで諏訪子の機嫌も直ったようである。よろしい、と満足したように云った後、再び酒の入った猪口を口に付けてぐいと仰いだ。
「私の楽しみの一つだし、早苗も随分と練習してるから、待ち遠しいのは確かだけどね」
「だからこそ心配なのかしら」
「よく御存じで」
「あんたの親馬鹿――もとい先祖馬鹿は今に始まった事じゃないでしょうよ」
く、と笑って、神奈子もまた酒を飲む。自然とからかってしまうのは、もう変えようのない癖みたいな物なのかも知れないと神奈子は心中でほくそ笑んだ。彼女の言葉は当然のように諏訪子の気分を多少なりとも害してしまうものだから、諏訪子はまた、けれども先刻とは少しだけ違った諦念の響を溜息に含ませて、悪かったわねと云った。
涼やかな風が颯と吹き、夜の帳に浮かぶ夜桜の花弁を散らす。幻想的な風景を見ながら、二人は心地良い静寂に抱かれた宴会を続けた。
二人がこの静謐な宴会の会場の中で思い浮かべているのは、恐らくは同一人物だったのであろう。諏訪子と神奈子の表情には、愛娘の晴れ舞台を思い浮かべる親のように、穏やかで優しげな微笑が浮かんでいた。その一方で、早苗が晴れ舞台で失敗しやしないかと云う心配の色も確かに含まれていたけれども、だからこそこのような表情を浮かべられるのだろう。二人は同じ顔のまま、申し合わせたかのように新たな酒を猪口に注ぐと、またぐいと仰ぐ。
「――祭りは楽しみだけど、一つ心配事があるのよ」
自分の傍らに猪口を置いて、唐突に神奈子はそう云った。視線は夜桜に向いていて、隣りを見遣った諏訪子にはその眼差しに、何か風に揺られる頼りない蝋燭の火のような光を見た気がした。
颯と風が吹く。ざわざわと桜の梢が擦れる音が、不気味に響く。白い月光が心なしか青白く見え出して、何となく不吉な空気が漂い出したように諏訪子は思った。だが、それも気にしないようにして、「ん」と話しの続きを促した。
「早苗、最近部屋に居る事が多くないかしら」
その言葉に、諏訪子は人差し指を顎に当て、星の瞬く夜空を見上げて記憶を遡る。そうして最近の出来事を思い返している内に、確かに早苗が部屋に居る事が多くなった、と気が付いた。しかし、それも祭祀に向けた練習の疲れがある所為かも知れないし、はたまた勉強や何やらで疲れているのだろうと考えて、神奈子とは打って変わった明るい口調で「そうかも知れないね」と云った。そう気楽に云えるのも、諏訪子が顧みた記憶の中で、早苗が何時も笑顔で居たからに他ならない。余計な心配ならしない方が良いと思う気質であったのも手伝って、悪い方に物事を考えたくも無かったのである。
「……何も無ければ良いんだけど、何か引っ掛かって」
「そう深く考えちゃ、悪い方ばかりに傾くよ。早苗もそう心配されたら遣り辛いだろうし」
「ん……そうね。まあ、早苗もそういう素振りは見せてないし、気に留める事もないか」
「呑みなよ。今夜の桜はこんなに綺麗だし、酒の肴にしないのは勿体ない」
そう云うと諏訪子は徳利を手にして、神奈子の顔の前で少しだけ傾けて見せた。神奈子もそれに応じて猪口を出す。透き通った酒に、再び月が浮かび、星が瞬き、もう一つの夜空が目の前に出来る。何だか心地よくなって、神奈子はちびりと一口飲むと、ほうと熱い息を吐いた。隣を見遣ると、手を後ろに着いて体重を支えながら、仄かに頬を色付かせた諏訪子が居る。月光を跳ね返す金色の髪が風に揺られてさらさらと流れていた。
静かな宴会はもう少しばかり続くようである。だが、次々と猪口を空けていた諏訪子は、既に半分目を閉じて船を漕いでいる。この宴会が終わるのも直ぐだろう、神奈子は隣でとうとう猪口を置いた諏訪子を見て、そう思った。
颯と吹く風が桜を揺らす。擦れる梢がざわめき出して、空中に舞う花弁が何処かへ飛んで行く。遠く、なあと一声、猫の鳴き声が響いた。それは静寂に抱かれた宴会の会場に染み渡るように、響いていた。
――続
幻想の詩、二作目。
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