11.02.15:20
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10.02.00:23
幻想の詩―神と風祝の連―#12
守矢神社の面々で連載物。
※鬱要素有り
何もかもが消え失せたその地が語るのは。
――完結。
――準備はすぐに終わるから、神社の境内で待ってなさい。
そう云われた早苗は一人、守矢神社の入口の鳥居に背を凭れさせながら、空に浮かぶ満月を眺めていた。準備をすると云った二人の神は、母屋の中に残っている。その準備が何なのか知らない早苗は幸福であった。少なくとも彼女が暗い表情を浮かべている理由よりは重かった事であろう。優しい早苗は、優しいままに、幻想郷に行くのである。
「幻想郷――」
ふと、自分が行く事になるかも知れない地の名を漏らす。早苗は不安になったが、すぐに二人とも此処に来てくれて、安心感を与えてくれるだろうと考え直し、胸の前で手を組み合わせると、白く輝く満月を強く見据えた。炯々と瞬く星々の中に、一際強い輝きを放つ流れ星が横切った。白い尾を引いて消えて行ったその星は、果たして何を早苗に与えただろう。儚い月明かりに照らされるだけの早苗の表情からはそれが窺えなかった。
◆
「始めようか」
「そうね」
母屋の玄関に立ちながら、神奈子と諏訪子はお互いに確認を取るように云い合った。薄暗い空間には奥の方まで闇を続かせている廊下が丁度見渡せる。長らくの間世話になっていたこの屋敷の廊下も、今日だけは何故か新鮮な印象を二人に与えていた。それは意識の変化がもたらした物なのか、それとも偶然だったのか、それを考えないようにしながら、二人はひたりと冷たい廊下に足を付ける。そうして、同じ廊下を並んで歩いて行った。
それから二人が突き当りの廊下で二手に別れた後は、如何なる音もこの屋敷の中からは消え失せたように思われた。ただぎしぎしと二人が歩む音だけは明瞭に響き渡っている。森閑とした森の中にも必ず獣の鳴き声が混じるように、この屋敷の中には自然な足音と、誰かが息を呑む音だけが聞こえていた。――無論、早苗には何も聞こえはしない。
ずる、と何かを引き摺る音が、新たにこの屋敷の中に混じり合った。ずる、という音は決して途絶えはしない。休む間もなく、誰かが誰かの身体を引き摺っているように思われる。自然な音に次いで響くその音は、酷く気分を害する音のようにも思えたが、誰かが激昂するような気色も屋敷の中には見出せない。ただずる、という音が自然な足音と一緒に静寂に拍車をかけているばかりである。
――そんな時間が、どれほど続いたのだろうか。何時しか音は消えていた。足音も、何かを引き摺る音も、何もかもが屋敷の中から消え失せていた。それは何を示唆するのであろう。――二人には判る。二人だけの宴会を催す時に必ず使う縁側に並んで座る二人には、それが判っている。判っていながら、目の前の光景からは目を逸らしていた。
早苗を境内で待たせておいてからどれだけの時間が経ったのだか、二人には判らなかった。ただ月光が、この縁側と庭先とを淡く照らし出す時、ぬらりと光る紅色だけが、際立っている。諏訪子は頬を手で拭いながら、少し失敗したなと思った。拭った手を見てみると、そこにはやはり不気味な紅がぬらりと輝いている。心持が悪くなった諏訪子は、決まりの悪そうな顔をして空を仰いだ。――庭先は目に入れなかった。鮮やかな桜は、もうそこにはないと判っていた。
「手とか、拭いた方が好いわよ」
何処から持ってきたのか、布巾を手渡しながら神奈子は云った。自身の身体には諏訪子と違って何処にも汚れは付いていない。ただ生臭い臭いが手からするように思われる。その手も、今はもう綺麗になっていた。
「……これで準備は完了、か」
「私達は幻想郷に行けるのかしらね。存在も定かでないのに」
「行かなきゃってくらい思ってないと、行ける所にも行けなくなるよ」
「……そうね」
明るい声でけらけらと笑いながら云う諏訪子に、神奈子は僅かな軽蔑と、僅かな敬服とを一度に感じた。今、この場に於いて諏訪子の浮かべている表情や発せられる言葉に含まれた明るい声音は、酷く不釣り合いのように思われた。ただ手を拭く時に翳った瞳ばかりが印象に残っている。神奈子は諏訪子もまだ弱いと思った。勿論、自分にも加えた批評である。一方、諏訪子は何を考えているのだか判らない。ただ空を見上げながら、黙っている。
「でも、奇跡を起こせる早苗が居るから、案外大した物でもないかも知れないね」
「奇跡で何でも思う通りに事が運ばれるなら、幻想郷に行く必要もないでしょうに」
「それを云われたら、何も云い返せないけど」
そう云って諏訪子はまた、ははと乾いた笑いを零す。途端に酒が欲しくなった。が、酒を飲む為には台所まで行かねばならない。此処に来る前に用意しておけば好かったと、今更になって後悔した。
だが、好く考えてみると元からそんな時間はなかった。今宵、自身の存在を維持する力を全て使い果たして、二人がこの世界に居られるのも後僅かな時日となっている。それを思い出して、諏訪子はよっこらせと云いながら立ち上がった。それを見て神奈子も立ち上がる。二人の瞳は庭先を映さない。
「行こうか」
「そうね」
二人はまた確かめ合うように言葉を交わすと、縁側を後にした。誰も居なくなった縁側には白い月が、心なしか紅と混じり合ったかのような色の月光を降らしているだけである。二人が存在した痕跡は、もうなかった。
◆
そうして、三人は幻想郷へと辿り着く。
拍子抜けしてしまうほどに、それは楽な道のりであったように思われる。が、正直な話、三人は自分達がどうやって幻想郷に来れたのか好く判っていない。ただ、幻想郷を覆う結界があるとしたら、という前提の元に早苗が当時は存在すら知らなかった博麗大結界に干渉しただけである。奇跡を起こす力を持った早苗のお陰なのか、それとも幻想郷に行く為の正しい手手順を踏んだのか、それらは一向に判然としなかったが、新たな地へと生きる場所を変えた三人にはする事がありすぎて、それもすぐに忘れてしまった。
ただ、僥倖と云う他なかったのは守矢神社自体も幻想郷に移動してきた事である。神を失い、住人を失い、最早幻想となり掛けた故に起こり得た事象であったのか、それは定かでないが、住む場所の当てもなかった三人は素直にその幸福を受け入れた。が、諏訪子と神奈子の二人の表情だけは沈鬱であった。
それから、元いた世界とは全く異なった世界で、三人は新たな物語を刻んで行く。早苗の顔には次第に心からの笑顔が浮かぶようになり、それを見た神奈子と諏訪子も柔らかく微笑み、その幸福を噛み締めたりしていた。――が、それでも時折、神奈子と諏訪子はあの日を思い出さずには居られないのである。そして、それを思い出す度に彼女らの表情には暗い影が差す。それは太陽を月が食らうかの如く、明瞭だった。
しかし、諏訪子と神奈子は自分の表情に影が差しているのに気付く度に、こう思う。――きっと、これで好かったのだと。でなければ早苗の顔から、笑顔は絶えていたのだと思う。
ところで、こんな話がある。
彼女らが幻想郷へと行った後に報道された事件の一つだ。その事件は、このように報道されていた。
「――某日未明、守矢神社の住人が何者かの手によって殺される事件が起きた。遺体は守矢神社の母屋があった場所の庭に集められ、手厚く弔われたかのように並べられており、犯人の動機は未だに不明である。また不自然な個所は多々有り、その中でも最も異端なのが守矢神社に住んでいた東風谷早苗さんの失踪と、神社という建物の失踪である。彼女は事件が起きる当日までは学校に登校しており、学校の生徒達も不審に思うような点はないと話している。だが、一部の生徒に虐めの被害を受けていたという証言も出ており、警察は東風谷早苗さんを重要参考人として捜索している。また神社自体の失踪は、全く以て見当が付かないほどに謎だ。残骸の一つも残さず、文字通り影も形も一夜にして無くなった。到底人の手では成し得ぬ事だと専門家は話す。一体、神聖な場所である守矢神社に、どんな目的でこのような事件を起こしたのか、それらは全て謎に包まれていて、色々な考察も飛び交った。誰一人として居なくなった件の神社は、今も封鎖されて事件の凄惨さを物語っている。こんな非道な事件を起こした犯人が早く逮捕される事を、一人の人間として強く望む次第である。尚、有力な情報を持つ方は以下の連絡先に御一報をお願いします。」
――完
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