11.02.17:32
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09.24.02:10
幻想の詩―神と風祝の連―#6
守矢神社の面々で連載物。
※鬱要素有り
蝋燭のように儚い焔が、風に揺らめいた。
大きな舞台の上の四隅に、暗闇を不気味に照らし出す篝火が揺らめいている。微風がそこに吹く度に、ぱちぱちと軽い音を立てて、赤い炎は絶えず燃えていた。
そして、その舞台の前には多くの人間が所狭しに集まっていた。その殆どは年を食った老人や、それに連れられてきた小さな子供である。稚気を含んだ声を諫める声が、そこら中から聞こえてくる。そして、それらの十人十色の頭を照らす提灯が、境内の上に張り巡らされていた。木から木へと紐を繋ぎ、そこに提灯をぶら下げる。空中から境内の中を囲むかのように、正方形の光が闇を暴いていた。
そしてその更に上、常人には見えないように姿を眩ました神奈子と諏訪子が、舞台を見下ろしていた。眼下からの光は宙に浮かぶ二人の姿を映し出してはいるものの、その存在に気付く者は皆無である。随分と力の衰えた神であろうとも、ただの人間の目を眩ますなど造作もない事であった。云うなれば、境内の上は彼女らの特等席のような物であった。
だが、それを喜ばしいと思っている表情は二人にはない。一見すれば無感情にも見える瞳は、先刻からずっと誰も居ない舞台の上に注がれている。後少しの時が経てば、そこに姿を現す早苗を、二人は待っているのだ。早苗が希望した通り、酷い顔をしてこの場に出てこないよう願を掛けながら。でなければ、殊更に明瞭になる罪悪感は更に二人を苛む。そうなりながら、二人は平生の調子を保ちつつ彼女の舞いを見る自信は無かったのである。
やがて、風祝の入場を伝える言葉と共に、境内の中が異様な静けさに包まれた。子供達が囁く声が潰える事はなかったが、それもこの静寂に拍車を掛けている。二人は胸が締め付けられるような思いで、じっと舞台の上を見守っていた。
――そして、舞台へ上がる為の階段に人影が浮かぶ。異常な静寂をその身に受けているだろう早苗が、静かな足取りで舞台へと上がった。宙に浮かびながらその光景を見守っていた二人にとっては、早苗の顔が篝火に照らされるまでの間の数瞬間は、恐ろしく長い時間のように思えたろう。
果たして、二人の危惧した通りの表情を、早苗は浮かべていなかった。
◆
「――頑張ってる」
「……そうね」
真剣さの滲み出る早苗の表情は、先刻あの告白をした時のような沈鬱な物ではなかった。
この静寂を真向から受け止めようとするかのように、引き締まった表情からは風祝としての矜持がありありと感じられる。生まれてから、風祝として育てられた早苗にとっては、その勤めに没頭出来る時間が最近では唯一の安らぎの時になっていたのかも知れない。二人は恭しく礼をした早苗を見て、共に安堵の表情を浮かべた。
舞いの始まりを示す太鼓の音が、段々と大きくなりながら境内の中に鳴り響く。それに合わせるようにして、早苗は手にした御幣を観衆に向けて一直線に突き出す。緩やかな出だしから、その舞いは始まった。真一文字に結ばれた早苗の唇は、一切の失敗も許さないという気迫を表しているかのようである。それは毎年、彼女が舞う時に見せる表情であった。それだから、諏訪子と神奈子が感じた安心感も更に増した。
「今は大丈夫そう」
「今は、ね」
じっと舞台の上で舞う早苗の姿を見遣りながら、諏訪子は呟いた。その言葉の通り、今の早苗の姿からは失敗をする様子など微塵も見受けられない。だが、それも今だけなのだと、自分自身に云い聞かせるように、諏訪子の呟きに神奈子は云う。その瞳もやはり、早苗の所へと向けられていた。
太鼓の音が途端に速くなる。それと同時に、緩やかだった早苗の舞いも加速を見せた。両手で御幣を持ちながら、舞台の中央で回転する。微風に揺らめいていた篝火の火が、呼応するかのように、大きく揺れる。だが、そんな些細な変化が人目に付く事はない。現人神が起こす奇跡は、この程度では奇跡には成り得ないのである。
どん、と一際大きく太鼓が鳴らされた。早苗の持つ御幣は空に浮かぶ月に向いている。間髪入れずに、その御幣は一直線に振り下ろされ、大地に向けられた。境内の入口に立つ鳥居の方から、強い風が靡く。人々の髪の毛を乱れさせる比較的強い風は途端に場内にざわめきを生ませた。所々から、奇跡だと囁く声がしている。毎年目にしているはずの老人達ですら、この時ばかりは目を見開いて驚くのだ。先刻の風向きなど無視して吹く風、つまり風祝が起こす奇跡に。
「早苗は、この時は何時だって誇らしげだね」
「今までの練習の成果を見せる時だもの。それも当然よ」
金の髪の毛と、群青の髪の毛を風に靡かせながら、二人は言葉を交わす。凛々しい早苗の姿に、敬服したのか、また意外の感に打たれたのか、少なくとも二人の顔には驚きの色が含まれている。先刻の苦しそうな顔をしていた早苗と、今舞台の上で素晴らしい舞いを披露している早苗とは、到底同一人物だとは思えなかった。
早苗は自分を囲うように、御幣で五芒星を描く。すると、何処からともなく、早苗に向ってくるようにして風が吹く。それが具体的に視覚出来る物だとしたら、五本の筋が早苗に向って飛んで行った事であろう。通常では有り得ない風が、彼女の手によって吹いたのだ。人々のざわめきは更に騒々しさを増した。だが、その舞いの神聖さを貶めるでもなく、それは太鼓の音に入り混じり、さながら舞曲の一部として同化した。
舞いは一切の滞りなく進んで行った。次々と成される奇跡の数々を、人々は目を皿にしながら目の当たりにした。凛々しく、華麗に舞う早苗の額には薄っすらと汗が滲んでいる。それを眺める二人の神も、すっかり目を奪われた。ある種妖艶な美しさを醸し出すその姿は、性別など関係なしに人々を取り込む。早苗はこの瞬間、現人神として信仰されているのだ。畏怖と好奇に彩られた視線に囲われながら、風祝として名誉な事を成し遂げるのだ。
「でも、やっぱり」
終演に差し掛かっている舞いを見て、諏訪子は云う。まだ真意を読み取らせないその言葉に返す答えはなく、神奈子は黙然と早苗の舞いを見ている。諏訪子もその言葉を発してから暫く間は黙っていた。
――やがて、早苗の御幣が一つの篝火に向けられる。するとその一点だけに収束された風が吹いたかのように、ふっと炎は煙となって消えた。次いで、次の篝火に御幣を向ける、やはりそれも、同様に消え去った。三つ目の篝火は中々消えなかった。暫く風が吹き続けたかと思うと、耐え切れなくなったかのように消えたが、前の二つと比べると明らかに手を焼かせていた。最後の篝火は、全ての炎を消す事が出来なかった。薪の端に小さな炎を残している。
だが、太鼓の音は無情にも鳴り止んでしまった。であれば、早苗はそれに合わせなければならない。御幣を胸に抱くように、両手で持つと、それと同時にそれまで吹き続けていた風が凪いだ。小さな篝火の炎を、一つ残して。
「――辛そうだよ」
観衆から拍手が送られ、騒然となる境内を見下ろしながら、諏訪子は云った。
その言葉を噛み締めるように、神奈子は苦々しい表情を浮かべながら、ちらちらと揺らめき、今にも消えてしまいそうな最後の篝火を見詰める。早苗がその火を見てどんな表情をしているかなど、考えたくなかった。
だから、その炎が自然と消えるその時まで、神奈子はそこを見詰めていた。諏訪子に「そうね」と返しながら。
――続
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