11.02.17:36
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09.25.21:53
幻想の詩―神と風祝の連―#7
守矢神社の面々で連載物。
※鬱要素有り
暗い夜道の先は、赤か黒か、その二つに絞られた。
祭祀が無事に終わり、数日が経過した。
早苗の帰りは相変わらず遅かったし、家に帰ってきてから部屋に籠る時間は前に比べて明らかに増えていた。神奈子や諏訪子は帰宅した早苗にお帰りと云う時以外には殆ど口を聞いていない。早苗自身が、他者との会話を望んでいないように思われたのである。次第に、まるで彼女らの背景に陰刻なる闇が広がっているかの如く、三人の表情は重くなって行った。
だが、神奈子と諏訪子は何も考えずに日々を過ごしていた訳ではなかった。二人に残された時間はとてつもなく少ない。元よりその存在が消える前に何らかの忠告がある訳でもないのだ。歪な存在感は二人に焦燥を生み、自分達が消えてから早苗が幸せな生を過ごせるよう対策を練っていた。妙案が浮かぶでも無かったが、何もしないで無下に時を浪費するよりは幾らか楽であった。
そんなある日の夜、諏訪子と神奈子は久方振りに二人だけの宴会を開く事にした。何時かの時と同じように、満月が冴える肌寒い日である。既にその花弁を減らしている桜の木が見える縁側に、酒と申し訳程度の肴を用意して、重々しい表情のまま座る。そうしてどちらからともなく酒を注ぐと、飲み始めた。
◆
「確かな根拠はないけど、そろそろ限界ね」
重々しい雰囲気を纏いながら、それでも無表情に神奈子は云った。
自分の存在の刻限が限界である事は何となく知れている。云った通り確かな根拠は何もないが、それでも漠然とした意識の中でそう思うようになっていた。そしてそれは諏訪子も同様である。無言で頷きながら盃を傾けて酒を一口飲むと、物寂しい笑みを唇の端に象りながら渇いた笑いを零した。いっそ笑いたい気分だったのかも知れない。滑稽な悲劇を演じる役として、この上なくその無力さは辛かったのだ。
「何もしてくれない神様は音もなく消えてしまいました――なんて、考えたくもないね」
「残された巫女は、周りの酷い仕打ちに耐え続ける運命を背負わせられました、って?」
冗談めいた口調で話を繋げる。実際有り得なくもない物語の終焉だっただけに、二人が感じる思いも重かった。もしかしたら恨まれているのではないか。それとも生まれた場所を憎んでいるかも知れない。終いにはそんな事を神奈子は考えていた。早苗にとって住み好いとは言い難いこの世の中で、ありとあらゆる物を怨嗟していてもおかしくはない。それだけに、神奈子は恐怖を感ずる。自分達が消えて、一人取り残された早苗の事を思って。
酒に酔えばこの嫌な考えも少しは流れてくれるのだろうか。そんな事を思いながら、盃から溢れる限界まで注いだ酒を一気に飲み干す。喉を苛めるかのような熱い液体が身体の隅々に行き届くような心持になった後、溜息を吐いた。
水に流して忘れてくれなんて。自分は今忘れるどころかこの身に取り入れたも同然なのにと苦笑した。自分は何時から神としての矜持を忘れたのだろう。あれ程辛い目にあった早苗を差し置いて、過去を水で洗い流そうなどと、誇りの一片も感じられない。全く酷い体たらくだ。自分は本当に神だったのだろうか。神奈子はそう自嘲した。
「ねえ、もしも早苗が望むなら、私は手段を選ばないつもりだよ」
「……手段って、何よ」
一人満月を仰ぎながら、黄昏ていた神奈子は諏訪子の言葉を期待半分で聞いていた。これまでに好い案など一度として出て来なかった中で、今更何が出来ると云うのだ。諦念にも酷似した言訳を心中で吐き出しながら、やはり夢心地のまま諏訪子の話に耳を傾ける。好い感じに酔いが回っていた。現が幻に変わって行くような、心地好い感覚に神奈子は身を委ねた。
「住み難いこの世を捨てれば、あらゆる悲しみも捨てられる」
「……殺すって云ってるの。私は許さないわ」
「そうじゃない。ただ、この世では死ぬけれど、次の世でもう一度やり直すって事」
諏訪子の話は神奈子にとっては解釈に困る物であった。世の中には理想郷と称される別世界があるとされるが、その存在が確かな物であると定義出来た者は居ない。元より定義のしようがないのである。信じられるとすれば、この世と別の世界とは死んだ後に辿り着くあの世くらいであった。
だが諏訪子は殺す訳ではないと云う。微醺に微睡んだ神奈子には話の内容を咀嚼出来なかった。ただ、判らないと体現するかのように首を横に振って見せた。諏訪子は判然とした声で、話を続ける。
「失くした物が集まる場所がある。伝承でしか聞いた事はないけど、この国の何処かに大きな結界で隔離された世界あるって云われてる。あらゆる物を受け入れ、あらゆる物を拒む世界。妖怪と人間が住まい、時には喰らわれ、時には滅ぼされ、そうして均衡を保ち続ける世界。――そこなら或いは、早苗も普通に過ごせるかも知れない。幻想郷と呼ばれる理想郷の中でなら」
その言葉には力があった。神奈子の記憶にも、そのような伝承が頭の片隅に残っていた。だが、だからと云ってその存在が明確になる訳でもない。諏訪子の提案は一種の賭けであった。成功すれば全てをやり直す事が出来るが、失敗すればどうにもならなく、自分達は消えるだけで、早苗は一人この世界に取り残される。だが希望の光が無い訳でもなかった。もしもその伝承が本当ならば、やり直せるのだ。新しい世界で、今度こそ早苗を守りながら。
「でも、そんな世界が本当にあるなら、私達は相応に何かを無くさなければならないわね」
「そうなるよ。例えば私達の存在が消える時にしか移動出来る機会は無い。例えば私達の存在を完全に消さなければならない。例えば早苗が過去を捨てる覚悟を決めなければならない。――少なくとも、私達の手が汚れるのは判り切ってる」
神奈子は暫しの間黙り込んだ。諏訪子の云わんとしている事は判った。であれば二人は覚悟を決めなければならないのは必然である。そうしてそれを早苗が望まないという事も、判っていた。
だが、考えれば考えるほどに他の手段は潰えて行くように思われた。早苗に対してそれをしてやれば、例えそれを彼女が望まなくとも、幾らか救われるのは確かなのだから。
「ねえ、神奈子。自分の手を血で染める勇気はある? 早苗を裏切る覚悟が、出来る?」
「……何もしてくれない神様は消え、世の中に疎まれた巫女は死に、そしてそこには誰も居なくなりました――なんて、性質の悪い冗談にしか聞こえないけど、私にはあるわ。あんたの云う、勇気も覚悟も」
盃がぴしりと音を立てる。ぽたりと酒が落ちた。
時間の経過を示すかのように、桜の花弁は散る。最早半分ほどになってしまった寂しい衣を身に纏う桜を見て、諏訪子は厳かに云った。――私にもある、と。
不吉な闇夜は、次第にその勢力を広げて行った。
――続
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