11.02.17:28
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09.21.01:05
幻想の詩―神と風祝の連―#3
東方SS十八作目。
守矢神社の面々で連載物。
※鬱要素有り
その傷が語るのは。
その日は、暗澹たる曇天が自然と気を重くさせるような天気であった。
祭祀の当日だというのに、実に心持の悪くなる天気が広がる空を恨めしそうに見遣って、諏訪子は溜息を吐く。彼女は屋外で行う早苗の舞いが雨などに邪魔をされなければ好いがと思いながら、早朝の肌に冷たい空気を感じつつ、祭祀の準備が終わった広い境内の中を何ともなしに歩き回っていた。
時間は随分と早い。その所為か、諏訪子以外に誰も居ないその境内の中は酷く物寂しい雰囲気が漂っている。それももう少しの時間が経過して、祭祀が始まる頃になれば次第にざわついて来て、早苗の舞いを見に来る人で賑わうのだろうが、それを判っていても尚、現在の境内の中は諏訪子にとって何か不安のような物を与えるのだった。
今回で、子孫の晴れ舞台を拝むのも最後となるのだろう。その想いがあるだけに、それはより顕著になり、得体の知れない不安の重圧が空に広がる厚い雲と共に自身を押し潰そうとしているかのように思われた。
「――最後、か」
一人不安を払拭しようと呟きを漏らしても、やはり清閑な境内の中に消えて行くばかりである。何だか逆効果だったと思い直して、諏訪子は被っている帽子を目深に被り直すと、母屋の方へ戻って行った。祭祀が始まるのは日が暮れて暫く経った後だ。この季節、この気温の日に蛙は外に出たりしない。もう一眠りしようと思い立ち、何故こんなに早く起きてきたのだろうと自分の行動を不審に思い、苦笑した。
――暖かい日差しを提供する太陽は、曇天に阻まれて少しもその姿を見せていない。せめて最後くらいは好い天気でこの日を迎えたかったけれども、仕方がない。最後か。そう最後に呟いて、諏訪子は母屋の玄関を潜って行った。
◆
日が傾き始めた時分、神奈子は早苗の様子を見る為に、彼女が舞いの最終確認をしているであろう離れ家に向かった。自分が行く事に大した意味は見出せないが、彼女にも思う所が多々あった。何事もなく来年を迎えられる保障があったのなら、神奈子はわざわざ早苗の練習の邪魔をしに行ったりはしない。だが、それを今は敢えてしようと離れ家に向かっている。それほどまでに、最後という言葉の重みは、一種の未練染みた想いを彼女に抱かせているのだ。
「今回も頑張ってね――なんて、少しありきたりね」
苦笑を漏らしながら、そう呟く。自分にとって最後になる今回の祭祀に、どういう言葉で早苗を送り込むのが相応しいのだろうか、などと考えていても、浮かぶのは陳腐な激励の言葉しかなく、神という肩書を持っているにも関わらずこんな小さな事にも悩み抜いてしまう自分が滑稽に思えたのである。
だが、そう自分を卑下してみても、新たに相応しそうな言葉が浮かんでくるでもなく、結局神奈子は素直に思った事を告げれば好いかと思い直して、自分が既に目的の離れ家の前に居る事に気が付いた。
何の変哲もない戸の向こう側からは、何の音もしない。本番の前に精神を集中させているのだろうかと思い、神奈子はその戸を開けるのに戸惑った。もしも邪魔になってしまったらどうしようか。折角集中力の上がっている所に入って来られては迷惑に思うだろうか。本来の彼女の性質らしからぬ考えばかりが頭の中を巡っていて、一向に要領を得ない。終いには、やはり今行くのは止めにして後にしようかと考えたが、それも大して変わらなかった。
「まあ、好いか」
自分を諫めるように、また勇気付けるように、神奈子は戸に手を掛ける、相変わらず森閑としている離れ家の中には人が居るのかどうかも怪しく思えたが、まさか何処か別の場所に居る訳でもないだろうと考えて、一思いに戸を明けた。がらりという音と共に、綺麗な板を床にした、一種道場のようなだだ広い空間が目に映る。
目的の人物はすぐに見付かった。――早苗は、巫女服をはだけさせながら、広い部屋の真中で茫然としながら佇んでいる。その様子が既に尋常なものではない事は明白であった。精神を集中させるには、余りに意識が散漫している。巫女服をはだけさせた姿は練習をしているようには到底窺えない。神奈子は危機感のようなものを感じながら、急いで早苗に駆け寄った。駆け寄ってくる足音が部屋の中に響き渡っても、早苗は茫然としたままであった。
「早苗! どうしたの!」
「八坂……様……?」
大きな声で呼び掛けながら、神奈子は早苗の華奢な肩を掴み、揺する。それで漸く神奈子がやってきた事に気付いたのか、早苗は驚いたように神奈子を見遣ると、次いで飛び退こうとした。が、力強く神奈子に肩を掴まれていた為にそれは叶わず、ただ倒れそうになってよろめいただけであった。その拍子に、半分脱いだような巫女服が更に捲れ、早苗の上半身が露わになってしまった。早苗にとって、決して見せたくなかった傷痕と共に。
「……っ、どうしたのよ、それは」
「……っ」
瑞々しい腹部の肌に青黒く浮かんだ痣を見て、神奈子は絶句した。
それは紛れもなく、何者かの手により下された暴力の証拠であった。白い肌に不釣り合いな赤紫と、青紫の痣が、早苗の腹部には幾つも刻まれていた。嫌な予感がして、神奈子は早苗の後ろ髪を掻き上げて、うなじの辺りを見た。前に、不自然に感じたのはもしかして、と思いながら。――果たして、そこにはやはり痛々しい痣がある。神奈子は唇を噛んで忌々しげに舌打ちをした。明らかな悪意の塊。早苗を傷付けた輩に対する怨嗟の表れでもあった。
神奈子はもう一度、早苗の双肩を両手でしっかりと掴みながら、真正面から早苗の瞳を見詰めた。だが、却って早苗は神奈子と視線を合わせようとはしなかった。顔ごと斜め下に向けて、唇を噛み締めている。そこに、つい最近まで見ていた早苗の明るい笑顔はない。自分を慕って、他愛のない話をする時の楽しげな表情も無かった。
「――早苗」
心なし衰えたように思われる語勢で、神奈子は呼び掛ける。頑なに視線を合わせようとしない早苗を優しく諭すかのように。だが、それは一方で拒否を許さない荘厳な態度のようにも見える。今此処で、神奈子は全てを早苗に打ち明けて貰わない事には引き下がれなかった。恐らくは、理不尽な制裁を受けた彼女の事情を聞かない事には。
「何があったのか、全部話しなさい」
厳しく言い放つ神奈子に、早苗はただ首を横に振り続けるばかりであった。
――続
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